質屋またの名は一六銀行
こんにちは、山重商事(株)代表取締役 山重恒夫です。
今日は、質屋の昔話についてお話いたしましょう。
暮らしが豊かになっても、あるいはサラ金が氾濫しても、
質屋はまだ路地の奥などに健全です。
これまで日本の庶民の台所を裏から
支えてくれた質屋は、いつから始まった
職業なのでしょう。
現在のように職業として質屋が誕生したのは
鎌倉時代以降のこと。
武士相手が多く、刀剣類、茶碗、絹布が
主な質草でした。
庶民相手の質屋が盛んになったのは江戸時代。
生活に困った女房が泣く泣く着物を質に入れるのは
当たり前として、大工職人が大工道具、芝居の一座が
拍子木や太鼓、かごかきがふんどしと、商売道具まで
質草にしたそうです。
ふんどしを失ったかごかきは、やむなく股間を
竹の皮で隠したとか。 ところで, 質草のふんどし、
ちゃんと洗ってあったのでしょうかね。
シャレのわかる質屋になると、落語家の十八番の噺(はなし),
連歌師のよく使う文字なんかをカタにとって金を貸したようです。
受け出すまでは落語家はその噺を語れず、
連歌師はその文字は使えないということでしょうか。
この様に質屋は700年も続く伝統ある立派な職業だと思います。
これからも質屋は庶民を支え、国民の台所を
裏から支え、今後も質屋が発展し,
未来へ向けて質屋業界全体が躍進し, 活性化していく事を
願っております。